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ハワイの歴史・英雄

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ハワイの歴史・英雄

ハワイの歴史・英雄

ハワイの歴史の始まりは古く、6世紀ごろ東南アジアから東へ移動した民族がハワイに移り住み始めたといわれています。
その後10世紀〜12世紀ごろ、タヒチから多くの民族が移住してハワイの社会制度が築かれ、現在のハワイ人につながったといわれています。

古代ハワイ

ハワイの島々は火山活動により海底が隆起してできた島で、現在も活動を続けている火山もあります。
紀元前700年頃にポリネシア人がハワイ諸島に移住してきたことにより、ハワイの文化は始まります。ポリネシア人は文字を使う文化を持たなかったため、後世への歴史や文化を伝える手段は口頭伝承や壁画などによる方法が主でした。

12~13世紀頃になるとタヒチ人が移住してきており、この頃から権力闘争などが起こり、階級社会が発生しました。階級には4つの種類があり、アリイ(王族)、カフナ(神官)、マカアイナナ(平民)、カウバ(奴隷)となります。アリイとカフナは貴族階級にあたります。
古代のハワイアンは自分たちの先祖は神であったという考えを持っており、アリイという身分の人々は他のどの身分の人達より神との繋がりがあるとされていました。
更にそのアリイを束ねる最高権力者がアリイ・ヌイと呼ばれ、一番最高位の身分になります。

アリイ・ヌイは親から子に受け継がれる継承制度を取っており、そうしたことから、人々はアリイ・ヌイの座を巡り争いを繰り返していくこととなります。

ハワイ王国

1778年にイギリスの海洋探検家のジェームズ・クックによってオアフ島、その2日後にカウアイ島が発見されます。翌年クックはマウイ島とオアフ島の調査後、ハワイ島ケアラケクア湾へ上陸し、当時ハワイ島の族長であったカラニオプウはクックを豊穣と平和の神である「ロノ」の化身と思い込み神と崇めました。
しかしその後、クック等の行いに疑念を抱いた先住民により襲撃を受け、クックはカラニオプウを人質として拘束してしまいます。争いは大きな乱闘へと発展してしまい、クックは4名の水平と共に殺害されてしまうことになります。

当時ハワイ諸島にはアリイ・ヌイによる島単位での統治が行われており、ハワイ島はカラニオプウ、それ以外の島をカへキリ(マウイ島のアリイ・ヌイ)が支配していました。
カラニオプウは遺言で、王位を息子のキワラオに、守護神クーカイリモクの称号とコハラ及びコナの領地を甥のカメハメハに・・と遺して没します。しかしキワラオは自分より身分の低いカメハメハにそのような待遇を与えることに腹を立て、カメハメハに戦争を仕掛けましたが返り討ちに遭い、滅ぼされてしまいます。
その後、カメハメハは持前の軍事的才能を発揮しハワイ島の統一を成し遂げます。
次にカメハメハはハワイ諸島の統一に向け動き出します。
カメハメハは懇意にしていたイギリス人、ジョージ・バンクーバーとハワイにおけるイギリス人水兵の安全保障を執り行う代わりに外国のハワイ侵略をイギリスが防衛するという協定を結びました。
これを契機にカメハメハはイギリスから武器を仕入れ、ハワイ諸島統一へ向けてニイハウ島とカウアイ島を除く島々を制圧し、ハワイ王国を誕生させました。

1810年、これまで攻略することのできなかったニイハウ島とカウアイ島をアメリカ人のウィンシップ兄弟の協力を得て攻略に成功し、ハワイ諸島の統一を成し遂げました。

〜現代へ

カメハメハ2世になってから「力」による支配を否定し、神官の地位や伝統宗教が衰退していたため、その頃に訪れたアメリカの宣教師によりキリスト教の布教が始まりました。
もともと、文字を持たないハワイ民族にハワイ語を英語に置き換えた聖書を出版し、文字の普及も始まります。
しかし、宣教師の権力が増大してしまい、伝統文化や儀式を邪教として扱われ、オリ(歌謡の一種)やフラ(伝統芸能)を行うことを禁止しました。
こうした伝統文化の封印は何十年も続き、第7代国王カラカウアの時代にようやく封印は解かれることとなります。

カラカウア死後、次に即位したのはカラカウアの妹であるリリウオカラニでした。
その頃、ハワイでは白人による支配が続いており、リリウオカラニは白人からの政権を取り戻すべく活動していきます。しかし、そうした活動に不満を抱いた白人達により彼女は側近と共に幽閉されてしまうこととなります。そうして白人を大統領とするハワイ共和国が誕生しました。
数年後にはハワイの併合が行われ、ハワイ民族によるハワイ王国は終焉を迎えることとなりました。

リリウオカラニ女王の時代にハワイで布教活動を行っていた宣教師により、砂糖のプランテーションを作り、彼等は大成功を収めます。

現在のハワイでも砂糖の栽培は行われており、ハワイの産業の一部となっております。

ハワイの英雄

ハワイには歴史の中で偉業を成し遂げた3人の英雄がいます。
この3人はその偉業を称えられ、銅像が建てられました。

カメハメハ大王

カメハメハ大王

「カ」=人、「メハメハ」=静けさ・孤独・唯一の、という意味を持っており、カメハメハは静かな人、孤独な人という意味になります。
ポリネシア民族系でハワイ諸島の統一を果たし、その後のハワイ諸島を支えました。
カメハメハはハワイ諸島を政治的にも制定し、これまで続いていた首長による平民の支配を保護する法律を作り、人身供犠を禁止しました。
経済では白檀の貿易を行ったりと、協力なリーダーシップを発揮しています。
初代カメハメハが築いたハワイ王国は1898年のアメリカ併合が行われるまで続きました。日本の童謡「南の島のハメハメハ大王」はカメハメハ大王をモチーフとしています。(ハメハメハ大王はカメハメハ大王の友達という設定です)

聖ダミアン

1840年生まれ、ベルギー出身の本名ヨセフ・デ・ブーステル。
1864年にオアフ島へ宣教のために訪れ、ホノルルの大聖堂でダミアンの名を受けました。
1866年から1969年まで、現在のカウラパパ国立歴史公園にハンセン病患者が強制隔離を受けていました。ダミアン神父は患者のケアに生涯を捧げるべく、33歳で現地に向かいます。
ハンセン病患者の様々なケアに尽力し、彼自身もハンセン病に感染してしまい1889年に亡くなります。 彼の死後約90年、ローマ法王パウロ6世が彼の偉業を称え、聖ダミアンとなりました。

デューク・カハナモク

デューク・カハナモク

1890年8月24日、オアフ島出身で純粋な先住ハワイ人であるデュークは世界最高の「ウォーターマン」としてハワイの人々に親しまれています。
彼は幼い頃から水に親しみ、水泳、アウトリガー・カヌー、サーフィンの達人でした。
1912年のストックホルム五輪では100メートル自由形で金メダルを取り、1920年アントワープ五輪でも優勝という成績を残しています。
現役引退後は水泳とサーフィンの振興に力を注ぎつつ、ハリウッド映画にも出演しています。

彼の銅像はオアフ島のワイキキ・ビーチに設置されています。

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